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八木田杏子 10年02月07日放送

梨木香歩

梨木香歩


怒りにまかせて言葉をぶつけると、
言ってはいけない真実をついてしまう。

それで、すっきりする人がいる。
そこで、後悔する人もいる。

梨木香歩が書く主人公は、
傷つけてしまった人に、こんな風に謝る。


 さっきは少し、自分に酔い、
 勢いをつけなければ誘惑に負けそうだった。


心の揺れをすなおに言葉にできる人は、
傷つけてしまっても、もっと深くつながれる。







2 夏目漱石

夏目漱石


感性のきめが細かい人ほど、
生きることに足がすくむ。

社会の矛盾、人間の本性
気づかなくてもいいことに
気づいてしまうからだ。

そんな人のために、芸術があると、
夏目漱石は考えていた。


 住みにくき世から、
 住みにくき煩いを引き抜いて、
 有難い世界をまのあたりに映すのが詩である、画である。
 あるいは音楽と彫刻である。


簡単に言うとこういうことだ。
芸術は人を幸せにするために存在する。


3 まど・みちお

まど・みちお


不幸をひっくり返して、
幸福にできる人がいる。

詩人まど・みちおは、
苦しみをじっと見つめてから、
それを喜びに変えるための、きっかけを見つける。

妻のアルツハイマーが、重くなっていったとき、
まど・みちおは苦悩する。
毎日欠かさない日記には、
暗い想いが否定的な言葉になって、綴られていく。

それがある日、一変する。
アルツハイマーが、「アルツのハイマくん」に変わるのだ。

そのときから、妻の粗相も自分の失敗も、
すべて笑いのタネになった。
そうして生まれた詩が「トンチンカン夫婦」。


 明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
 お恵みいただけるかと
胸ふくらませている


まど・みちおは、
世界をひっくり返すために、言葉を探す。


4 外山滋比古

外山滋比古


記憶力が悪いのはいいことだ。

ベストセラーの「思考の整理学」を書いた
外山滋比古は、忘れるチカラを見直している。

忘却をくぐらせて枯れた知識のみが
あたらしい知見を生み出す。

つまり、忘れることで、閃くらしい。

記憶力が悪くて受験で苦しむ人は、
アイデアが閃きやすい体質だ…と思うと
人生の帳尻が合うような気がする。


5 シューベルト

シューベルト


シューベルトは、
8歳で「野ばら」を書き、
19歳で「魔王」を書いていた。

それでもまだ、
音楽家として認められない彼は、
音楽家として生きる覚悟が揺れていた。

だからといって父親に言われるままに
教員を目指してみても、上手くはいかない。

見かねた親友のシュパウンが、
シューベルトが書いたゲーテ歌曲を、
ゲーテ本人に送ることを思いたつ。
しかし、ゲーテからの返事もない。

それでも、シューベルトは友情に恵まれていた。
部屋も食事も楽譜にかかるお金も
すべて彼の才能を信じた友人たちが援助した。
ゲーテに無視された「魔王」も、
友人たちの頑張りで自費出版できたのだった。

シューベルトの才能を、
ひっぱりだしたのは、友人たちのチカラ。

天才だって、ひとりでは闘えない。


6 岡本太郎

岡本太郎


岡本太郎は、
だれでも岡本太郎になれると思っている。

いや、自分は才能もないし下手だからと言うと、
こんな言葉で返される。

才能なんて、ないほうがいい。
自由に明るく、
その人なりの下手さを押し出せば、逆に生きてくる。

でも、自分は強くは生きられないと答えると、
こう反論される。

弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。

できない言い訳を、ひとつひとつ潰していくと、
岡本太郎ができあがる。


7 寺田寅彦

寺田寅彦


エッセイを書いた最初の科学者
寺田寅彦は、どんなに締め切りが重なっても、
遅れることがない。

執筆の依頼がきて、書きたいと思ったら、
その日のうちに、書き上げてしまうから。

締め切り前に、胃がキリキリすることもない。

なかなか真似できないけれど、
真似してみたいやり方ではある。



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佐藤延夫 10年02月06日放送

01-yoshida

社長は語る/吉田拓郎(小6)


ヤエヤマアオキをご存知ですか。
ハワイの言葉で「ノニ」。
健康食品として注目されている植物です。

久米島に、ノニを原料にしたジュースや石鹸などを販売する会社があります。
社長は、吉田拓郎さん。
あの人と同姓同名の、小学6年生。
ちなみにお母さんが秘書で、
営業部長はお姉さんです。

そんな社長の夢。

   少し大きくて、日本で少し知られていて
   3回飯が食べられるぐらいの会社にすること。


この子ども社長は、大人が見失ったものを
ちゃんとわかっている。



02-matsushita

社長は語る/松下幸之助


寒いから、下を向く。
景気が悪いから、下を向く。
転んでしまわないように、下を向く。

石橋を叩いても渡らないようなこのご時世。
あまり慎重になりすぎると
目の前にチャンスが訪れても
気付かずに通りすぎてしまいそう。

こんなときこそ真正面を向いて
思い切り走ってみるのがいいのかも。
松下幸之助さんは、こう言っています。

 こけたら、立ちなはれ。

この気楽な言葉が、
今の時代を救うヒントのような気がしませんか。



03-kawabata

川端康成

仕事でもかまいません。
辛い恋でも、くだらない中傷でも結構です。
何かを忘れるために、雪を見に行きませんか。
きっと心が真っ白になるはず。

たとえば、川端康成の小説「雪国」の舞台となった新潟県湯沢町。
「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で有名なあの場所には、
一面の銀世界が広がっています。

そうそう、「雪国」には、もうひとつ有名なフレーズがありました。

  なんとなく好きで、
  その時は好きだとも言わなかった人のほうが、
  いつまでもなつかしいのね。
  忘れられないのね。
  別れたあとってそうらしいわ。


真っ白な雪を見ても、恋の残り香は消えないかもしれません。






04-yanase

やなせたかし


それは、間近に控えた受験だったり。
終わりの見えない仕事だったり。人生だったり。

毎日頑張ってはいるけれど、
得体のしれない不安に包まれる。
そんなときは、
心の中のモヤモヤが消える魔法の言葉を思い出しましょう。

  何のために生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ
  何が君の幸せ 何をして喜ぶ
  わからないまま終わる そんなのは嫌だ


若い人ならきっと、
アンパンマンのうたを歌ったことがあるはず。
くじけそうなときには、そっと口ずさんでみましょう。
勇気が湧いてきますから。

今日2月6日は、アンパンマンの生みの親、
やなせたかしさんが生まれた日。



05-bis

ビスマルク


最近の若い奴は・・・
なんてセリフは、いつの時代にもある愚痴ですが、
現在の若者事情はどうなんでしょう。

仕事をする意味が見いだせない
将来の夢がわからない
マニュアルがないと動けない

どうやら、こんな悩みを抱える若者が多いようで。

ドイツの政治家、ビスマルクの言葉です。

  青年に奨めたいことは、ただ3つの言葉に尽きる。
  すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。


なかなかスパルタですね。
変に悩まずに汗を流すことも、案外気持ち良かったりして。



06-black

ブラックジャック

寒くて、朝起きるのが辛い。
このまま眠っていたい。
休んじゃおうかな。

毎朝布団の中で、同じことを考えてしまう皆さんへ。
仮病で休んでしまおうかと、こっそりたくらむ皆さんへ。

かの有名な天才外科医、ブラックジャックは、こう言っています。

  仮病は、この世でいちばん重い病気だよ

でも一日くらいなら、許してもらいたいですね。

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蛭田瑞穂 10年01月31日放送

武田百合子 1

武田百合子 1


武田百合子を語る時、まずその職業から、と思うのだが、
困ったことに彼女は肩書を極端に嫌う人だった。

夫、武田泰淳の死後、富士山麓での生活を綴った
『富士日記』を発表し、鮮やかに文壇デビューした後も、
「文筆家」と名乗るのを拒んだ。

ある原稿の肩書が「故武田泰淳夫人」となっていた。
それでは困ると編集者が言うと、彼女は笑って答えた。


 じゃあ主婦にしてください


さて、武田百合子を何から語りはじめよう。







武田百合子 2

武田百合子 2


武田百合子夫妻が富士山麓に山荘を構えたとき、
夫泰淳は、百合子に日記を書くよう勧めた。

彼女は首を横に振って、それを渋った。
しかし泰淳はなおも説得を重ねた。


 どんな風につけてもいい。
 何も書くことがなかったら、
 その日に買ったものと天気だけでもいい。
 日記の中で反省はしなくてもいい。
 反省の似合わない女なんだから。


後年、武田百合子の名を世に知らしめた『富士日記』は
夫の説得の末に生まれた作品である。


武田百合子 3

武田百合子 3


戦後間もない東京、神田に
「ランボオ」という名の喫茶店があった。
作家武田泰淳はその店の常連客だった。

泰淳は店の女に恋をしていた。
しかし、その恋の進展ははかばかしくなかった。
女は美人で、まわりにはいつも彼女目当ての客がいた。

あるとき泰淳は、女にチョコレートパフェをおごった。
女はうれしそうにそれを食べた。
アメリカ製のチョコレートパフェは当時高級品だった。

それ以来、泰淳は店に来ると
女にチョコレートパフェをおごるようになった。

好きなものを食べさせて、
自分は黙って、はずかしそうに焼酎を飲んでいる。
そんな泰淳を女はいつしか好きになった。

女の名は、鈴木百合子。
のちに武田泰淳と結婚し、武田百合子となるその人である。

もし、チョコレートパフェがなかったら、
武田百合子という稀代の文章家は
生まれていなかったかもしれない。


武田百合子 4

武田百合子 4


「美しい」という言葉を簡単に使わない。
武田百合子はそう決めていた。

 景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
 心がどういう風かくわしく書く。
 「美しい」という言葉がキライなのではない。
 やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。



美しい文章を書こうと思ったら、
美しいものを美しいと書いてはいけない。


勉強になります。


武田百合子 5

武田百合子 5


戦後間もない頃、「ランボオ」という喫茶店で
武田百合子は働いていた。
作家たちの溜まり場として繁盛していた店の常連客に、
のちに百合子の夫となる武田泰淳がいた。

痩せて元気がなく、女に話しかけるのが下手な人、
というのが百合子の印象だった。

泰淳からの求婚を受けたときも、
それをありがたく思う気持ちはなかった。
戦争で焼け野原になって、
ずっと酒を飲んでいる百合子に、
先のことは何も考えられなかった。

しかし、ともかく、ふたりは結婚する。
以後泰淳の死まで結婚は25年間続くことになる。

結婚することを、俗にゴールインと呼ぶ。
だが百合子と泰淳、ふたりにとってそれは、
ゴールではなく、スタートだった。


武田百合子 6

武田百合子 6


武田百合子は戦争を経験している。
空襲で家が焼け、親類を渡り歩いた。
裕福だった少女時代から一転、生活は貧窮の底に落ちた。


 七月三十日(金) くもりのち晴れ、風涼し
 朝起きぬけに、花畑のまんなかで
 髪の毛をとかしているといい気持だ。
 朝 麦飯、じゃがいもベーコン炒め、さばみりん干し、のり
 夕食 麦飯豚ロース


『富士日記』に繰り返し綴られる、平凡な日々。
しかし、平凡な日々の中にこそ、幸せがある。


武田百合子 7

武田百合子 7


武田百合子の『富士日記』は、
富士山麓に山荘を建てた昭和39年に始まり、
夫武田泰淳が他界した昭和51年に終わる。

13年の間に、溜まった日記帳はじつに12冊。
「長い間よくあきずに書きましたね」
百合子はよくそう言われた。
その度に彼女は胸の内でつぶやくのだった。


 私だってキョトンとしているのだ。
 よくまあ、この私が書き続けたものだ。




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坂本和加 10年01月30日放送

01-hachi

ハチ公と上野博士①


秋田で生まれたハチが
上野博士の住む東京へ
もらわれてきたのは、子犬の頃。
博士は、上野英三郎さんといって、
東大の先生だった。
いまや近代農業土木の祖と言われるくらい、
エライ先生だったそうで。

その博士とハチが
過ごしたのは、たったの1年3ヶ月。
けれど、犬たちにとっては、
それは10年近くの歳月。

忠犬ハチ公の話は、
帰らぬ主人を待ち続けた
かわいそうな話ではない。
それは、我が子のように
深く愛された、犬の話。



02-hachi

ハチ公と上野八重子②


ハチは、子犬の頃から
丈夫な犬ではなかったそうだ。
「ハチはよくおなかを壊すから」といって
上野博士の奥様、八重子夫人は、
付きっきりの看病をよくした。

いつものように見送りにいき、
そのまま博士が帰らぬひとになってからは、
奥様が内縁だったため、
これまでの暮らしができなくなった。

ハチをよそへやったのは、
奥様は犬が嫌いだったから
と言うひとがいるけれど。

そうではなくて、
博士を恋しがるハチを見るのが
誰よりもつらかったから。



03-hachi

ハチ公と小林菊三郎③

植木屋の菊さんは、
2番目のハチのご主人だ。
菊さんは、亡くなった最初の
ご主人のお屋敷の庭師で、
秋田からやってきたハチを
東京駅まで引き取りに行ったのも、菊さんだった。

「ハチはご主人の形見だ」といって、
繋がずに、放し飼いにしたのも、菊さん。

だから、ハチは、
10年近くも渋谷に通いつづけられた。



04-hachi

ハチ公と斉藤弘吉④


もし、斉藤弘吉さんという方が
新聞へ寄稿しなかったら
ハチがこれほど有名になることも、
渋谷に銅像として飾られることも、
なかっただろう。

ハチをずいぶん前から知っていた
斉藤さんは、日本犬保存会の会長だった。
だから、渋谷駅で野良犬のように扱われる
秋田犬をふびんに思ったのだろう。

「いとしや老犬物語」という記事が
新聞に載り、ハチはいつのまにか
「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。



05-hachi

ハチ公と安藤照⑤


ハチが新聞に載ってから
日本中がハチ公ブームだった。
銅像は、ニセモノが出回る前にと、
彫像家の安藤照が、大急ぎで作った。

けれど、現在の銅像は
そのときのものではない。

戦時下の金属回収で、ハチ公は
いちど渋谷から姿を消し、
戦後、GHQの後押しと
子どもたちの募金活動により
ハチはふたたび渋谷に帰ってこれた。



06-hachi

忠犬ハチ公⑥

忠犬ハチ公と呼ばれ
一躍有名になった後も、
迎えの時間になれば渋谷駅へ向かい
帰らぬ主人を待っていた、ハチ。
年老いて、足がふらついて
目や耳が悪くなっても。

帰らぬ主人を「わかっていた」と言うひとがいる。
けれど、ハチにとっては、
主人を待つことが、この上ない、しあわせ。

ハチのお墓は、青山霊園にある。
大好きな大好きな、上野博士の隣に。




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名雪祐平 10年01月24日放送

スティーブ・ジョブス

スティーブ・ジョブス


iPod、iPhoneが発表されるまで、
世界の多くのメーカーが、
こう考えていたかもしれない。

自分たちの製品が、
いちばん新しいと。

アップルのCEO、スティーブ・ジョブスは
スタンフォード大学の講演で
学生にこんな言葉を贈った。


 Stay Hungry,
 ハングリーであれ、
 Stay Foolish.
 バカであれ。


いま、世界でも
最高レベルの
経営者からの言葉。


ユル・ブリンナー

ユル・ブリンナー


テレビ画面から、
このまえ肺癌で死んだはずの俳優が
語りかけてくる。


 私はいま、この世にいないが
 みなさんに言っておこう。
 タバコは吸うな。
 何があってもタバコだけは吸うな。


ヘビースモーカーだった俳優、
ユル・ブリンナーが
死を目前に撮影にのぞんだテレビCMだった。

全米が度肝を抜かれた。
1980年代の
禁煙運動を象徴する出来事だった。






ヴァネッサ・パラディ

ヴァネッサ・パラディ


1987年に14歳で歌手デビューし、
フランスで一気に大スターになった
ヴァネッサ・パラディ

成功した彼女は、こう言った。


 お金には興味ないの。
 でも、お金のことを考えなくてすむなら、
 お金を持ってるのも悪くないわね。


手に入れたのは大金だけではない。

最もセクシーといわれる男、
ジョニー・デップとの間には
二人の子どももいる。

人生は、ちょっと不公平かも。


細川ガラシャ

細川ガラシャ


細川ガラシャは、
ラテン語の聖書を読めるほど
知的な女性だった。

父は明智光秀。
本能寺の変から、娘の運命も翻弄され、
やがて、死を選ぶ日が来る。

その辞世の句。


 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
 花も花なれ 人も人なれ


ガラシャとは、
ラテン語で“神の恵み”の意味という。


白石一郎

白石一郎


海、という字がついた
タイトルの本は売れない。
そう編集者は言った。

そんな馬鹿な。

長崎県壱岐で育った作家、
白石一郎は反発した。

白石は7回も直木賞候補になりながら
落選しつづけ、
実に8回目に受賞となる。

候補作で、
海の字がつく小説は3つもある。

受賞作『海狼伝』は、
海洋歴史小説の傑作。
海の字がつくベストセラーとなった。


白石一文

白石一文


こんども、父は謝っている。

直木賞受賞の知らせを
一緒に待ってくれた編集者に、
またこんども、父は。

直木賞なんか、なければいいのに。

落選しても、落選しても、父は書いた。
その姿が、
息子を小説家にしたのか。

父、白石一郎は
8回目の候補で直木賞受賞。
息子、白石一文も
落選を経験し、この冬、受賞。

直木賞を好き、くらいは言おうか。
息子は思った。


トルストイ

トルストイ


ロシアの文豪トルストイは、
82歳にして家出した。

もう、うんざりだ。
作品の版権に強欲な妻と
ののしりあう日々は。

家出したまま、肺炎で亡くなった。
最期の言葉は、


 妻を私に近づけるな。


文豪は逝き、そして、版権だけが残った。


 

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